苦い思い出の初マラソン
これまでに出場した6回のフルマラソンの振り返りをしていきたいと思います。
初めてのマラソンは2016年2月、寛平マラソンという大会に出ました。
寛平マラソンは間寛平主催で、吉本の芸人もかなりの人数走ります。
初マラソンなので、タイムを狙うガチな大会よりは楽しみながら走れる大会がいいなということで選びました。
この時は大学2年生で、現役引退して2年経っています。ですので、市民ランナー2年目になります。
大学2年になった春、初めてハーフに出場し、その後も8月、11月とハーフに出場し、フルにも挑戦してみたいと感じるようになってきました。
出場するからには市民ランナーの憧れでもあるサブスリーを達成したいと思い、取り組みました。
寛平マラソンの1ヶ月前に30キロの大会に出場し、良い走りがてき、サブスリー達成できると確信していました。
なぜなら、3時間ペースだと、30キロ通過は2時間7分30秒になりますが、僕は2時間3分55秒でゴールし、なおかつラスト5キロ上げる余裕があったからです。
マラソン当日、自信を持って挑みたかったところですが、幾つか懸念事項がありました…
1つ目は膝の痛みです。距離への不安からかオーバーワーク気味だったようで、レース前1週間くらいは痛みはなかったのですが、当日痛み出さないか不安でした。
2つ目は気象条件です。前日午後から土砂降りの雨、当日は水溜りが残る中高温多湿と最悪の条件だったのです。
レース本番、スタートの号砲が鳴りましたが、全然進まずかなりのロス…
この時点で相当イライラし、蛇行しながらかなりの労力を使い前に出ようとしました。
最初の5キロは21分51秒…
目標ペースから36秒遅れです。
10キロ地点。
この5キロ20分38秒と、最初の遅れを取り戻すことに成功しました。
ですが、1分13秒のペースアップはやりすぎました笑
15キロ地点
10-15の5キロ、21分10秒。
目標ペースとほぼ同じですが、すでに汗だく、水溜りの影響で靴の中がすごいことに…
20キロ地点
22分40秒。
もう完全に気持ちが切れてしまいました。
加えて膝の痛みが出てきてしまい、中間点行ってないのに棄権したくなりました笑
中間点
1時間31分30秒。
単純に倍しても3時間を越えており本気で棄権したい…
しかし、河川敷のため棄権しても車で拾ってくれるのに何時間かかるかと思うと、とりあえず完走しとこうという気持ちになりました。
あまり覚えていませんが、27キロくらいで歩いたと思います。
走ったり歩いたりを繰り返し、ゴールを目指します。
河川敷なので、景色が変わらずほんとに苦痛でした…
走りながら目標タイムを下方修正していき、せめて3時間半!
いや、40、50…と。
結果3時間56分でゴールしました。
完走とはいえ、歩いたので個人的には完走したとは思ってません。
このような後半ガクッと落ちてしまい歩くようなレースは収穫がないのですが、初マラソンということでいい経験になったと思っています。
教訓になったのは、レース直前に走り込みすぎないこと、スタート直後無駄な動きをしないことの2つです。
今思うと1ヶ月前の30キロの大会にピークがあってしまったのだと思います。ピークになると調子が良いため、ついつい走りすぎてしまい、本番疲労がたまった状態で挑むことになりました。
また、スタート後に追い抜かすために一気にペースアップしてはいけなと学びました。
大失敗のレースでしたが、この経験があったからサブスリーに繋がったと感じています。
最後に寛平マラソンのレビューをしたいと思います。
お笑い芸人が多くいるので楽しみながら走れると思っていたのですが、実際走ってるとそんな余裕ありませんでした笑
狭い道にも関わらず、横に広がって話しながら走ってる芸人もおり、正直あまり良い印象はありません。
河川敷を走るため景色が変わらないのと、雨の日にあたると悲惨なことになります…
次回は2回目のフルマラソンについて紹介します。